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日本最初の法歯学

2006年08月21日

最近、法医学の分野では、犯罪捜査や遺体鑑定など個人を特定するにあたりDNA鑑定が用いられている。
DNAによる鑑定の歴史は、まだ浅く20年に満たない。
その他、鑑定には指紋・血液・毛髪・歯などが利用されている。

なかでも歯は、いつまでも原型を留めているため法歯学として広く普及している。
例えば、歴史で習った北京原人やジャワ原人も最初に発見されたのは歯であるし、現在知られている人類の直系の祖先であるラミダス猿人も同様だ。
さらに恐竜の存在も、たった1本の歯の発見がきっかけになっている。
また特別な器材を必要とせず、容易に判定可能なことも大きな理由となっている。

また多くの日本人は齲蝕処置が施されていると同時に、カルテの5年保存義務も大きく貢献している。
仮に1本の歯を健全歯・齲蝕歯・処置歯・喪失歯の4つに分類し、歯が28本であるならば4の28乗となり、理論上は7200兆通りの組み合わせが存在する。
世界の人口が60億強だから、膨大な組み合わせ数となることがわかる。

さらに、咬耗の程度から年齢を推定することも可能であり、6点法では判定誤差がプラスマイナス3.6歳と言われている。

それでは、日本最古の法歯学はいつの時代であったのだろう?
さて、古事記は、712年に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ。太安万侶。)によって献上された日本最古の歴史書である。
その中に忍歯の王(おしはのおおきみ・押歯皇子)が登場する。
押歯とは、八重歯を意味する。
すなわち、忍歯の王は八重歯だったことがわかる。
忍歯の王は、雄略天皇によって殺害され墓すらつくられなかった。
しかし雄略天皇の死後、王の息子である仁賢(じんけん)・顕宗(けんぞう)が天皇となり、その遺骸を探した。
その時、ある老人から「王は八重歯」との情報を得て、骨を発見することができた。
これこそ日本最古の法歯学といえる。
歯並びの悪さが幸いした例もあるのだ。