MAIL MAGAZINE メールマガジン

日本の長寿村・短命村

2016年12月05日

数年来、三重県志摩半島の南岸に行きたい地域があり、最近やっと念願がかなった。

熊野灘沿岸の南伊勢町には、荒桑竈、栃木竈、小方竈、道行(みちく)竈、大方竈、棚橋竈、赤崎竈(廃村)、相賀竈(旧南勢町)
と「竈(がま)」の字がついた村落が点在している。

「竈」のつく村落が8カ所あるので「八ケ竈(ようかがま)」と総称されていた。

そして、その間には古和浦、神前浦、方座浦、奈屋浦、贄(にえ)浦、慥柄(たしから)浦、阿曽浦、相賀浦がある。

この地には「竈(がま)」と「浦」の地名が、ほぼ交互に存在するのである。

(図1)
スライド1

古来より、「浦」に住む村落は漁業を営んできた。

一方、「竈」では製塩業とわずかの農業で生計を立ててきた。

(図2)
スライド2

さて手元に興味深い資料がある。

これは東北大学医学部 衛生学の名誉教授 近藤正二先生の研究である。

先生は、昭和10年頃から40年間、“長寿者の多い村と少ない村”の背景について調査をされた。

1000カ所にもおよぶ集落を20kgのリュックと重いかばんを持ち、くまなく歩いて廻ったのである。

(図3)
スライド3

この研究は、生活の困窮や感染症などで乳幼児の死亡率が
高かった時代に行われたものである。

平均寿命は、乳幼児死亡の影響を受けるので、
長寿者の比率に影響を受けるので好ましくない。

そこで先生は、70歳以上の長寿者率を町村ごとに比較した。

その結果、長寿者率が10数%に達する地域がある一方で、
1%程度しかない地域もあった。(1935年調査)

ちなみに現在(2016年)70歳以上の長寿率は19.2%であるが、
1970年では4.2%、1950年ではわずか2.8%、に過ぎなかった。

(図4)
スライド4

この研究に、この地が登場したのである。

「竈」の地域は、栃木竈14.7%、大方竈10.5%、小方竈8.5%、道行竈8.0%と長寿率が高い。

これに対し「浦」では、慥柄浦5.2%、阿曽浦4.5%、奈屋浦2.7%、贄浦2.5%と低い。

狭い範囲なので、気候風土の影響は少ないはずである・・・
なのに、どうしてこれだけの差がつくのだろう?

先生は、この点に注目した。

さて「浦」には土着の人々が魚を売った収入で米を買い、
米や魚をたくさん食べていた。

しかし、畑がなく野菜の摂取が乏しく海藻も食べなかった。

一方「竈」の人々は、平家の落人の末裔であった。

ここはリアス式海岸であり島が多く、身を隠すには絶好の場所である。

また陸地伝いで行けるような場所ではない。

落人がこの地に住み着く条件は、漁業を生業としないことであった。

そこで製塩業を営みながら、
狭い畑を耕し野菜や海藻を中心とした食生活を送っていた。

すなわち、食生活の差が長寿率と関係していたのである。

それまでは、過酷な労働環境などが寿命に影響すると考えられていた。

しかし長寿率は、労働環境ではなく、
緑黄色野菜や海藻などを豊富に摂取することと深く関係していた。

この本で取り上げられた長寿村は、
交通が不便な僻地で医療設備も整っていない時代のものである。

従って長寿村は、まさに健康寿命の高い地域であったと言える。

健康寿命の延伸につながるヒントが、この本に隠されていたのである。

(図5)
スライド5

参考:総務省統計局 高齢者の人口
http://www.stat.go.jp/data/topics/topi721.htm

近藤正二:日本の長寿村短命村、サンロード出版、1972年.
杉晴夫:栄養学を拓いた巨人たち、講談社ブルーバックス、2013年.
中川千草:浦方と竈方―伊勢リアス式海岸部における「海村」―、地誌研年報第14号、2005年3月.

前 岡山大学病院 小児歯科 講師
国立モンゴル医科大学 客員教授
岡崎 好秀
http://leo.or.jp/Dr.okazaki/