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一口三十回で百七年 (その2)

2014年04月03日

国内外を問わず“健康長寿のスーパー伝道師”として、自身の健康法について講演されていた昇地(しょうち)三郎先生。
 (“昇”は正しくは“日”と“舛”)

かの有名な聖路加病院の日野原重明先生も「私の人生のお手本です。」とまで言われる。

さて昇地三郎先生が最も重要視されていた健康法は、“一口三十回噛む”ことだった。

(図1)

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その長寿法を聞きつけ、海外からもマスコミが取材に訪れていた。

(図2)

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幼少期、体の弱かった先生は、お母さまから「一口三十回噛みなさい」と教えられ、なんと100年あまり、守り続けて来られたのである。

「なにを食べるかではない。いかに食べるかである」

さらには「健康長寿は本人の努力が70%、遺伝はわずか30%。」と常におっしゃっていた。

まさに“噛むことの重要性”を説いておられたのだ。

さて、そんな先生の歯の状態が気になるところである。

そこで少し考えていただきたい。

さて歯の状態はどうなのだろう?

(図3)

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講演会では客席にこんな質問を問いかける。

そして聴衆者に手をあげていただく。

すると、半数以上が“すべて自分の歯”と答えられる。

続いて“20本が自分の歯”が多い。

これでほぼ95%となる。

残った数名の歯科医師は、総義歯に手を上げる。

そして正解。

先生が70歳代で総義歯になったと告げると、会場は大きな驚きで包まれる。

続いて

「100歳ですべて自分の歯であるのは、でき過ぎだと思いませんか!まさにスパーマンですよ。それでは先生は、私達とは別世界の特別な方になってしまう。決してそうではありません。日本でも戦後、歯の治療の器具や材料が困窮していた頃は、痛ければ抜くしかなかったのです。だから総義歯になったのかもしれません」

と言うと誰もが納得する。

さらに

「先生は、総義歯で餅や煎餅、たくあんやピーナッツ、さらにはステーキまでを食べられます。もちろん歯の数は、多いにこしたことはありません。しかし、噛める総入れ歯のおかげで、今の先生があるのです。たとえ歯を失っても、よく合った義歯でよく噛むこと!よく噛めば唾液がたくさん出るので安定も良くなります。先生の健康の源は、噛める総義歯だったのです。」

と訴えると客席の誰もが喜んだ。

実は先生、2016年横浜における国際学会での特別講演を目標に歩んでこられた。

それまでは、お元気で活躍されると信じていた。

しかし残念なことに、2013年11月に逝去されたのだ。

(図4)

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年が明けて先生のご自宅へお参りに行った。

秘書の話によると、亡くなる13日前までお元気で講演会をされていたとのこと。

そして3日前に、食事量を減らされた。

2日前には、秘書に正座をし三つ指をつき「これまでありがとう!」と告げられた。

そして当日の深夜、それまで病院には行かないと言われていた先生。

突然病院に行くと言い出したのである。

やはり“最後は、苦しい”ためかと思った。

しかし全く違う理由であったのだ。

もし自宅で亡くなれば不審死扱いで警察が入る。

それではみんなに迷惑がかかる。

だから「先生は、死亡診断書を書いてもらうために病院へ行ったのです。」と秘書の言葉。

さらに「食事を控えたのも、自分の体を汚さないため」とのこと。

107歳にして、そこまで頭が回っていたのだ。

最後の最後まで、自分の口から固形食を食べ、誰にも迷惑をかけず息を引き取った。

まさに“アッパレ”としか言えない大往生である。

(図5)
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 謹んで先生のご冥福をお祈りする次第である。

先生のお元気な頃の動画をご覧いただきたい。

燃える105歳児 昇地三郎先生
 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=dkab4u51WEA&feature=player_detailpage

昇地三郎先生写真集 「炎の百五歳児 ~人生に余りはない~」  1000円
(図6)
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本のお問い合わせは以下まで
〒811-1302 福岡市南区井尻1-40-6
「フェニックス三郎」記念館
FAX 092-591-1531

参考:昇地三郎著:106歳を越えて、私がいま伝えたいこと(こう書房)1575円

 前 岡山大学病院 小児歯科 講師
 モンゴル健康科学大学(旧:モンゴル医科大学) 客員教授
 歯のふしぎ博物館 館長(Web博物館)
 岡崎 好秀
 ⇒ http://leo.or.jp/Dr.okazaki/