2015年10月19日
20数年前にモンゴルで歯科診療を見学した。
その際、不思議に思ったことがある。
抜歯をした後、よほどのことがない限り抗生物質を投与しないのである。
当初は、薬の慢性的な不足だろうと思っていた。
しかし、その理由を尋ねて驚いた。
「口の傷は化膿し難いし、治りが早い」と言われたのだ。
口腔内の細菌数は、唾液1mlあたり約10^8(8乗)程度とされる。
一方、皮膚表面では1平方cmあたりの細菌数は、10^3(3乗)程度と圧倒的に唾液の方が多い。
単純に細菌数から考えると、口腔内の方が化膿しやすいはずである。
さて、抜歯を行うと骨まで達する傷ができる。
確かに、通常の抜歯は化膿することは少ない。
それでは、皮膚に骨まで達する傷ができたらどうだろう?
抗生物質を投与しても、ある程度の化膿はまぬがれない。
口腔は唾液により守られていることがわかる。
そう言えば、魚の表面のヌルヌル物質。
あれは唾液の起源である。
粘液成分のムチン(ムチン型糖タンパク質)※
やリゾチームなどで表面は保護されている。
ヌルヌル物質を除去すると、カビが生えたり寄生虫が侵入するという。
さて口腔を守る成分の一つにリゾチームがあげられる。
グラム陽性菌の細胞壁に作用し加水分解を引き起こす。
ここで実際に、実験を行ってみた。
まず、自然界に広く存在するルテウス菌(注1)の混濁液を試験管に入れる。
そしてリゾチームを滴下した。
すると、瞬時に細胞壁が破壊され透明になった。
これがリゾチームの溶菌作用である。
さてヒトの世界には、「善人」・「悪人」・「庶民」がいるように、
細菌にも“善玉菌”・“悪玉菌”・“常在菌”がいる。
“善玉菌”は、ヒトによって有益な菌、
すなわちビフィズス菌(注2)や納豆菌(注3)。
“悪玉菌”は、感染し病気を引き起こすコレラ菌や病原性大腸菌。
そして“常在菌”は、乳酸菌(アシドフィルス)や表皮ブドウ球菌。
しかし常在菌は、免疫力が低下すると身体に不利に働く。
ところで誤嚥性肺炎の起炎菌は、ほとんどが口腔内の常在菌によるものだ。
口腔内で無害な常在菌が、なぜ肺に入ると悪影響を及ぼすのだろう?
そこで考えられるのがリゾチームの存在。
唾液、鼻汁、気管粘膜から分泌されるが、肺からはされない。
この差が、口腔と肺の炎症に対する抵抗性の一つではなかろうか。
言い換えればリゾチームは、常在菌と平衡関係を保つことで、
口腔の健康の維持に寄与しているのだ。(注4)
注1:Micrococcus luteus(ルテウス菌)リゾチームによる溶菌作用が顕著に現れる。
注2:ビフィズス菌はつい最近まで“乳酸菌”と呼ばれ、現在も“乳酸菌群”として扱われる。
正確には、「ヨーグルトなどをつくるビフィズス菌」である。
注3:納豆菌は、バシラス属であり表皮の常在菌の仲間である。
常在菌と区別するには「納豆をつくる納豆菌」である。
注4:もし、リゾチームがなければ、常在菌も病原性を持つ菌となる可能性がある。
前 岡山大学病院 小児歯科 講師
国立モンゴル医科大学 客員教授
岡崎 好秀
⇒ http://leo.or.jp/Dr.okazaki/
※2018年10月19日修正 ムチン→ムチン(ムチン型糖タンパク質)