2012年09月14日
ブータン王国と言えば、ヒマラヤ山脈の麓にあり面積は九州とほぼ同じで、人口は70万弱の小さな国である。
この国は、国民総幸福量(GHN)の高い「世界一幸せな国」として脚光をあびている。
2005年のブータンの国勢調査では、「あなたは幸せですか?」の問いに対し、実に国民の96.7%が幸せと感じている。
ちなみに、わが国で同様の質問をしたところ8~15歳で13%、16~34歳ではたった8%に過ぎない。
さて、ブータンは大の親日国としても有名である。
東日本大震災の翌日には国王主催の「供養祭」が行われ、続けて3月18日には100万ドルの義捐金が贈られてきた。
また昨年秋にジグミ・ケサル国王は、新婚のペマ王妃とともに来日し国会で演説した後、東北の被災地を訪れたことも記憶に新しい。
(図1)
さて親日国と言われる国には、それなりの歴史が隠されており、その多くは先人達の活躍の賜物である。
ブータンにも、親日国となったきっかけになった人物がいた。
その名は、西岡京治(けいじ)氏。
日本で名前を知る者は少ないが、ブータンではもっとも有名な日本人であり、前国王から「ダジョー」という最も名誉ある称号を贈られている。
ここでダジョー西岡氏の活躍について紹介する。
氏は、1964年に海外技術協力事業団の専門員として農業指導のために現地に赴いた。
当時のブータンは、農業国であるにも関わらず食料自給率が60%と低い状態であった。
氏の粘り強い取り組みは、わずか200平方メートルの試験農場から始まった。
まず日本から持ち込んだ種をまき、実習生に農業の楽しさと野菜の育て方を教えた。
そこで育った大根は、ブータンの人々が見たこともないほど大きく立派なものであった。
この噂が次第に広がり、知事や議員が農場に訪れるようになった。
さらには国王から、農業試験場を探し運営を任せるように言われた。
そこで氏は、あらゆる農作物の栽培指導を行い、ブータンにおける農業の指導者を養成した。
また当時、ブータンでは稲の苗をバラバラに植えていた。
これでは米作りの効率が非常に悪い。
そこで日本のように、一定の間隔で植える「並木植え」を行った。
こうすると、風通しが良くなるばかりでなく、手押しの除草機が入りやすくなる。
並木植えを実践したところ、実に収穫が40%も増加した。
このような氏の取り組みによって、ブータンの農業は飛躍的に生産性を上げた。
そして、この国にとっては、なくてはならない人物となったのである。
(図2)
しかし残念なことに、氏は59歳でこの世を去った。
ブータンへ来て29年目のことである。
葬儀は、国葬として行われ弔問者の数は5,000名、12時間にも及ぶ盛大なものであったという。
さて、氏が若くして亡くなった理由。
氏は1991年、1か月の休暇を取って帰国した。
この機会に、以前から悩まされていた歯の治療のため歯科医院に通院した。
ブータンでは十分な治療を受けることができなかったのだ。
しかし、休暇が終わり完治しないままブータンに戻った。
そして1992年3月20日、急にひどくなった痛みのためにブータンの病院に入院し、翌日敗血症が原因で帰らぬ人となった。
歯科医師として歯が原因で惜しい人を失ったことは残念でならない。
ブータンが世界一幸せな国となった理由の一つには、ブータン農家の自立を目指したダジョー西岡の尽力があげられよう。
現在、多くの歯科関係者が、歯科医療支援のため開発途上国を訪れている。 このような活躍からも、多くの親日者を作りたいものである。
参考:
ブータン神秘の王国 西岡京治・里子 NTT出版 1998
ブータンの朝日に夢をのせて 木暮正夫 くもんのノンフィクション 1996
>>岡崎先生のホームペ-ジ
http://leo.or.jp/Dr.okazaki/