2003年01月06日
“私たちは、いわば二回この世に生まれる。
一回目は存在するために、二回目は生きるために” <ルソー>
あの時、あの人の、あの一言がなければ、今の自分はなかったかも・・・。
そんな体験はないだろうか。
その一言が人生の行く末を決めることもマレではない。親兄弟のアドバイスやら、恩師の進言やら、友人の忠告やら、偉人賢人の格言やら、星占いやら、恋人の甘い囁きやら・・・。そんな忘れられない言葉のひとつふたつは思い当たるはずだ。
ところで、そんな言葉の世界を支配しているのは、言霊(言葉に宿った不思議な霊威/広辞苑)と呼ぶ妖怪(?)であるらしい。
万葉集にも“磯城島(しきしま)の大和の国は言霊の助くる国ぞ真幸(まさき)くありこそ”とあるように、古来、日本は言霊の幸(さきわ)う国だった。
言霊に宿る力によって物事が成就したり、言動が影響を受けたりする。
言霊が人生を変えるきっかけになったり、歴史さえも動かすことがある。
信じる信じないにかかわりなく、日本人の“言霊信仰”は現代も綿々と生き続け、無意識のうちに言霊とともに日々生きているのだが・・・。
それはともかく、私たちは古今東西の名言や格言によく耳を傾ける。
そこから生きるための知恵を授かろうとする。その中に蓄えられたエナジーやパワーにあやかろうとする。息づかいや体温を感じたり、人となりを彷彿とさせる言葉に出会うこともしばしばある。
それが、人間という機微の旨み、人生のかくし味なのだろう。
何かの教訓や気づきを体得したり、噛みしめて、そこはかとない滋味や妙味を感じたりする・・・。
そういう一言一句を名言、格言と呼んでもいいと思う。
よくぞ言ってくれました!の喝采もあり。うん、そうそうという納得もあり。
そうとも言えないじゃないの反論もあり。百人百様、千人千態、エトセトラ…。
街を歩いている時やら、旅に出た時やら、本・新聞・雑誌・ホームページを読んでいる時やら、歌を聞いてる時やら、シチュエーションは雑多だが、ハッとするフレーズや心をとらえる表現、気になるメッセージに出会うことはよくあることだ。
いろいろな立場の人に会って話を聞くたびに、その人ならではのキラリと光る言葉の鉱脈を発見することも少なくない。長年、そんな“言葉の断片”を性懲りもなくあれこれと書き取ったり、集めたりしてきたのだが、いつの間にか膨大な量になった。
そこで、夥しい“言葉の断片”のなかから、希望や英知や勇気がむくむくと湧いてくる、リアリティのある言葉のアラカルトを俎上に乗せてみることにした。
そんな言葉の宇宙に踏み入って、風の吹くまま気の向くまま散策遊泳してみるのも、面白かろうと思ったのだ。
言葉は料理と同じ。表現ひとつで多彩な味わいを作ることができるからだ。
名言、格言というレシピのなかに、どんなかくし味が潜んでいるのか。
お楽しみは次号から・・・。
“生くること やうやく楽し 老いの春”<富安風生(80歳の句)>
“恋が芽生えるには、ごく少量の希望があれば十分である”<スタンダール>