2018年06月29日
とある診療室での出来事。
卒後間もない熱心な研修医が歯髄に近接した大きなう窩のう蝕除去を行っていると、比較的大きめの露髄が生じてしまった。
「あ、出血してきた……。慎重にう蝕除去していたのに、簡単に露髄してしまった……。結構大きめの露髄だな。患者に抜髄の説明をしなきゃ。その前に、一応、院長に報告しておこう」
と心の中でつぶやいた。
研修医「院長、う蝕除去中に露髄したんですが、抜髄していいですか?」
院長「ちょっと待って。露髄したら抜髄ってどこで習った?」
研修医「確か教科書的には2mm以上の露髄は直接覆髄の適応じゃなかった気がしますが……」
院長「そうか。確かに一般的にはそうかもな。よし、わかった。とりあえず、今回は私が続きの治療をしよう。ところで、患者さんは何歳だ? 麻酔はしたか?」
研修医「17歳です。麻酔はしてません」
院長「わかった」
院長は患者にもう一度、問診と口腔内診査行い、研修医に声をかけた。
院長「MTAを持ってきて。そのあと、グラスアイオノマーセメントで仮封する」
研修医「MTAとグラスアイオノマーセメントですね。わかりました」
研修医は、院長にMTAを渡すと、院長は浸潤麻酔後、マイクロスコープを覗きながら、再びう蝕除去を行い、MTAで露髄部をカバーし、グラスアイオノマーセメントで仮封した。治療終了後、研修医は疑問だらけだった。
研修医「院長、大きめの露髄でしたが、あんなケースでも保存できるんですか?」
院長「そうだね。露髄の大きさだけでは決まらないよ。小さな露髄でも保存できないケースだってある」
研修医「う~ん、そうなんですか……」
研修医はしばらく考え込む――。
研修医「あ、わかりました! MTAを使うと大きな露髄でも治せるんですね!」
院長「それは、合っている部分もあると思うけど、本質的じゃないな」
研修医「う~ん、ますますわからなくなりました……」
院長「よし、それじゃぁ『治る歯髄、治らない歯髄』について、勉強しようか」
研修医「はい! ありがとうございます」
院長「いろんな疑問があると思うけれど、まずは、なぜ歯髄保存が失敗するかについて考えてみようか」
研修医「お願いします!」
院長「歯髄が治癒するかどうかを決める、いちばん大きな要素って何だと思う?」
研修医「覆髄剤の選択ですか? さっきのケースでMTAを使ってましたよね?」
院長「MTAにこだわるなぁ(苦笑)。まぁ、その気持ちもわからなくはないかな。じゃあ、最初にその疑問に答えて、かつ歯髄の治癒の原則を教えてくれる1965年のKakehashiらの報告1)を紹介しよう」
研修医「はい」
院長「この研究は、無菌環境と私たちの生活しているような通常の環境のラットの歯を露髄させて、貼薬もなにもせずに経過観察をしたんだ。そうすると、どんなことが起きると思う?」
研修医「貼薬も仮封も何もしていないんですよね?」
院長「そうだ。食渣が露髄面に入り込んでいるとも書いてあるよ」
研修医「だとしたら、両方とも歯髄壊死するんじゃないですか?」
院長「普通はそう思うよな。通常の環境のラットの歯は予想通り、歯髄壊死したんだけど、無菌環境の歯は歯髄が治癒したんだ。しかも、露髄面に硬組織の形成が生じたとも書いてある」
研修医「ええ!衝撃です。信じられません」
院長「驚くべき報告だよね。おそらく世界中で最も引用されているエンドの論文じゃないかな。この報告はとても有名で、知っている先生が多いよ。さて、この報告からどんなことが考えられるかな?」
研修医「うーん、無菌環境では歯髄が治癒したということは、細菌感染がなければ歯髄は治癒するということですか?」
院長「そのとおり! 細菌感染の有無が重要だということを学べるね。さらに、この報告では直接覆髄剤を使用していない」
研修医「ということは、MTAを使わなくても、感染が無ければ歯髄は治癒するということですか?」
院長「原則としてはそういうことになるかな。臨床では動物実験とは環境が違うし、ヒトと動物では同じ結果になるとは限らないという制限はあるけど、重要度としては薬剤の選択より感染の有無ということがわかるかな」
研修医「へぇ~。あまり実感が湧きませんが、そうなんですね。」
院長「臨床でも感染の有無が重要だと教えてくれるシチュエーションがある。どんな状況かわかるかな?」
研修医「……想像がつきません」
院長「外傷による露髄だよ」
研修医「あ、そうか! 確かに、う蝕と違って感染で露髄しているわけじゃないですね」
院長「そう。外傷で歯冠が破折して露髄した歯髄は予後がいいんだよ。Dental Trauma Guideのデータを見ると2)、治療後の歯髄が壊死するリスクが10年後で5%だから、露髄してもほとんどのケースで治癒するといえるね」
研修医「なるほど~!!」
院長「ここで紹介した情報だけでは結論付けられないけれど、多くの研究結果を総合して考えると、感染の有無が歯髄の治癒を決めると言っていいかな。」
研修医「じゃあ、打診痛があるような、感染が疑われるケースは歯髄保存の適応症じゃないということですね」
院長「一般的にはそうだね。多くの症例はそれでいいと思う。でも、それだけでは歯髄の治癒は決まらないんだよね。それは、次回、解説しよう」
今回のポイント
「歯髄の治癒を決める最も重要な要素は、感染の有無である」
「外傷による露髄(複雑歯冠破折)の治癒率は高い」
参考文献
1) KAKEHASHI S, STANLEY HR, FITZGERALD RJ. THE EFFECTS OF SURGICAL EXPOSURES OF DENTAL PULPS IN GERM-FREE AND CONVENTIONAL LABORATORY RATS. Oral Surg Oral Med Oral Pathol , 1965 ; 20:340-349,
2) DENTAL TRAUMA GUIDE: https://dentaltraumaguide.org/
西本歯科医院
泉 英之