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落歯

2007年01月15日

俳句や川柳には、歯にまつわるものが数多くある。わが国では松尾芭蕉の歌があまりにも有名だ。なかでも“奥の細道”には、歯が痛むさま・歯と老化に関する歌が綴られている。
「木枯らしや 頬はれいたむ 人の顔」
「おとろいや 歯にくいあてし 海苔の砂」
芭蕉は、道中いかに歯で苦しんでいたかがわかる。さて、歯にまつわる歌は、漢詩にも登場する。“白楽天”・“韓愈”・“陸游”などの歌が有名だ。ここで“韓愈”の歌を紹介しよう。ご存知のように、韓愈は唐の時代の有名な文学者・思想家、そして政治家でもあった。彼は、歯周病で歯を失っていたことがわかる。ちなみに、これを詠んだとき、まだ36歳の若さであったという・・

去年落一牙 去年は奥歯が一本抜け、
今年落一齒 今年は前歯が一本抜けた。
俄然落六七 ちょっとの間に六本七本とぬけてゆき、
落勢殊未已 歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもない。
餘存皆動搖 あとに残った歯もみなグラグラして、
盡落應始止 きっと全部抜け落ちるまではおさまらぬらしい。

憶初落一時 最初に一本抜けたときのことを思い出す。
但念豁可恥 あの時はただ歯と歯の間がぱかり透いたのを恥ずかしいと思った。
及至落二三 しかしそのあと二・三本と抜けてゆくにつれて、
始憂衰即死 このまま老衰して死ぬのではと心配した。
毎一將落時 そして一本抜けそうになるたびに、
懍懍恆在己 いつもビクビクした思いにとりつかれた。

叉牙妨食物 ちぐはぐでものを食べるのに不自由だし、
顛倒怯漱水 グラグラしてうがいをするのもビクビクものだった。
終焉捨我落 とうとう私を見捨てて抜けてしまったときには、
意與崩山比 まるで山が崩れ落ちたような気がした。
今來落既熟 このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、
見落空相似 抜けてもああまたかと思うだけだ。

餘存二十餘 後に残った二十余本も、
次第知落矣 次々に抜けてゆくに違いない。
儻常歳落一 だが仮に毎年一本ずつ抜けるとしても、
自足支両紀 二十余年は十分に持つ勘定だ。
如其落併空 もしまた万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、
與漸亦同指 少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだ。

人言齒之落  人は言う、「歯が抜ければ、
壽命理難恃  寿命の方も当然ながらあてにならぬ」と。
我言生有涯  私は言う、「生命には限りがある。
長短倶死爾  長寿だろうと短命だろうと結局は同様に死ぬのだ」と。
人言齒之豁  人は言う、「歯にポッカリすきまが出来ると、
左右驚諦視  周囲がびっくりしてじろじろみるだろう」と。

我言荘周云 私は言う、「荘子も言っているように、
木鴈各有喜 「有用のもの無用のものもそれぞれ長所がある」と。
語訛黙固好 ものが言いにくくなれば、黙っていられるからかえって都合がよい。
嚼廢軟還美 噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなるだろう」と。
因歌遂成詩 そこで歌ったあげくに、この一遍の詩を作り上げた。
持用詫妻子 ひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

(現代語解釈 「韓退之全歌集」<久保天随 日本図書センター>)
 
 
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