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ふしぎ・ふしぎ 咀嚼と健康 ~その14~ —雛人形に見る食生活の変化—

2005年03月07日

現代の若者には、顎が細く面長な顔が増加していると言われている。
噛まなくてもよい、軟らかい食物の増加による影響と考えられている。
どうして食生活が変わると、顔の形も変わるのだろうか?

この理由について、徳川将軍の例はあまりにも有名だ。

 

写真1
徳川家康

 

初代将軍の家康は、肖像画にも描かれているように、エラの張った四角い顔である。
ところが将軍家の食物が軟らかくなるにつれ、代々の将軍の顔が変化している。

このことは、12代将軍の家慶・14代将軍の家茂の頭蓋骨が、面長で華奢になっていることからわかる。
なかでも家茂は、甘いものが大好物で、ほとんどの歯がむし歯となっていた。
徳川将軍も歯の痛みに悩まされたことだろう。

 

写真2
徳川家慶の頭蓋骨

 

それでは当時、宮中ではどうだったのだろう?
やはり軟らかな食事をしていたのだろうか?

この点についてのヒント。それは雛人形に隠されているのではないかと思う。

雛祭りは、平安時代に“ひいな祭り”として宮中で誕生した。
そして江戸時代、庶民の間で流行した。
寛永・元禄・享保の各時代である。

ところで元禄時代の雛人形は、比較的丸い顔をしている。
ところが享保時代の雛人形は、面長な顔となっている。

 

写真3
元禄雛

写真4
享保雛

 

この顔の違いは、何に由来するのだろう?
元禄時代と享保時代の間は、わずか10年あまりしか経ていない。
単に、その時代の流行の差だけなのか?

さて元禄時代は、江戸時代において町民文化が栄えた時代として有名だ。
井原西鶴や松尾芭蕉を始め、歌舞伎や絵画のみならず、食生活も大きく変化した時代なのだ。

それまで一日二回食であったものが、三回食になったのが、この時代。
また庶民の口に砂糖が入り始めたのも、この時代。
さらに玄米から精製米を食べ始めたのも、この時代。
箱根の峠を越えると“江戸患い”、上方では“上方腫れ”と言われる奇病が流行した。
今で言う、ビタミンB1の不足による脚気である。

さて雛人形は。きっと宮中の人々をモデルにしたに違いない。
だとすれば元禄時代の食生活の変化が、享保雛の顔に影響を与えたのかもしれない。
そのような目で雛人形を眺めると楽しみが増える。

それでは噛むことと顔の形はどう関係するのだろう?
まず顎のがっちりした顔は、咀嚼筋が太くて強い。
健康な歯でよく噛むことで、咀嚼筋が発達する。
筋肉が強くなれば、それに応じて骨も厚くなる。
だから四角いエラ張り顔になる。

一方、齲蝕が多い場合、あるいは健康な歯であっても噛むことが少なければ、筋肉が発達する必要がない。だから顎の骨も薄く華奢になる。
これが現在の若者の特徴的な顔なのだ。

このままの状態が続くと人間は、どんな顔になるだろう?
脳が発達し、顎が小さい。しかも運動不足で手足の骨も細く長くなってくる。
これは空想で描かれた火星人の姿に似てないか?
火星人は、火星に住んでいたのではなく、誰かがタイムマシーンに乗って、人間の近未来を見てきたのかもしれない。
 
 
写真1:徳川家康の肖像画 四角いエラ張り顔である。
写真2:徳川家慶の頭蓋骨 面長で顎の骨が華奢なことがわかる。(骨は語る徳川将軍・大名家の人びと 鈴木尚 による)
写真3:元禄雛
写真4:享保雛 元禄雛は丸顔に対し享保雛は面長である。
 
 
( 岡崎先生のホームペ-ジ http://leo.or.jp/Dr.okazaki/  )